カナダへ引っ越し
2005年に仕事を辞める決意をしてから、カナダに長期滞在をするための手段を徹底模索。当時、米国大学と提携しているバンクーバーの某キャリアスクールが「米国の大学のMBAがバンクーバーキャンパスで取れる。」と言う触れこみで生徒を募集していました。他の地元のキャリアスクールと色々迷いましたが、学生ビザが比較的簡単に長期間取れること、付随して就労ビザも同時に取れると言うことでその学校に申し込みました(結局、米国大学のバンクーバー校は2007年半ばに閉鎖されてしまいましたが、私はオンラインで直接その大学の授業を取ることができ、無事に学位を取得することができました)。そして、日本のカナダ大使館から送ってきた就学許可を手にして2006年1月に日本を出国、バンクーバーへ到着しました。学生ビザの期間は2年半。この間になんとか永住権取得の手段を見つけなければなりません。カナダの生活が始まってからしばらく週末には学校へ通い、就労ビザも無事取得できたため、現地翻訳会社に就職、日中はニュースレターの記事を書いたり翻訳作業をしていました。この時の就労ビザは学生ビザに付随したオープンワークパーミットで雇用主は自由に選ぶことができました。最初から移民を目指していたので翻訳会社の社長が「スカイの永住権申請には全面的に協力するよ。」と言う言葉を鵜呑みにしてしばらくは過酷な労働条件でも頑張っていましたが、他の多くの日本人従業員にも同じようにいっているのが分かり、「これはまずい’。」と思い就職活動を始めました。でも永住権を持っていないと言うことで新しい雇用主を探すのにはすごく難航しました。それでも諦めず希望を持って色々な人に「どうしても永住権を取りたい。」と言うことは伝えていました。
移民への希望と光が!
そんなこんなで1年10ヶ月経ち学生ビザ・就労ビザの期限もあと残り7ヶ月となり、ちょっと切羽詰まってきた頃、日本とカナダの交流会のイベントを通じて知り合った友人(仮名ゆかさん)から夢のような話が。ゆかさんは当時弁護事務所に勤めていたのですが、自分が違う会社に転職するので彼女の当時のボスに私を後釜として強く推薦してくれると言うこと。そしてビザ7ヶ月を切った頃、ゆかさんの後任者として弁護事務所に転職。弁護士のボスは日本人のクライエントをたくさん抱えていたので法律文書の翻訳やミーティングの通訳、書類の作成を補助することになりました。今思ってもゆかさんと出会いは私の人生の転機。もしゆかさんに出会えていなければ私はビザが切れると同時に日本に帰国せざるを得なかったかもしれません。その後もゆかさんは仕事のことや生活の色々な悩みを親身になって聞いてくれすごくお世話になりました。そして最初の就労ビザの期限が切れる1ヶ月前の2008年5月頃にボスと会社の人事との話し合いが持たれ、会社が私の就労ビザを取得してくれると言うことに。当時はリーマン・ショックの直前でバンクーバーはまだ景気が良かったのですんなり就労ビザが取得できました。その後は、移民申請に向けて色々な書類を取り寄せたりして準備に忙しくなりました。また勤めていた弁護事務所は移民申請の代行もやっていたので自分の移民申請書も見よう見まねで同時進行で作成しました。私が申請したのは、カナダの連邦政府のスキルドワーカープログラム。年齢、職歴、カナダとの縁故、語学力(英語とフランス語)、カナダ雇用主の有無などを査定されます。ポイント制で100点満点の68点が合格点でした。ただ、カナダの移民制度はしょっちゅう変更され現在は当時とはかなり違うようです(詳しくは、カナダ移民局ウエブサイトへ)。すべての書類が整うと移民局へ正式に永住権申請をしましたが、その後も「これで安心!」というわけにはいきませんでした。
更なるチャレンジ!
次の就労ビザの更新は2010年の秋だったのですが、リーマンショックの後にカナダの経済状況が悪くなり2008年の申請時より査定基準がずっと厳しくなっていました。結局また会社が就労ビザをサポートしてくれることになったのですが、私のお給料が申請する職業、弁護士秘書の平均的な給料より低いと言うことで一度却下されました。この時かなり絶望的になったのを覚えています。この先どうしようかと思っていたところ、ボスが会社と掛け合ってくれ、交渉を重ねた後、お給料を上げてくれることになりました。そして2回目の申請でやっと就労ビザを取得。結果が出るまでは本当に生きた心地がしませんでした。というのもカナダの雇用主を確保しているということが永住権申請のポイントにひびくため、申請中に有効な就労ビザを持っているかということはとても重要なことでした。そのため、無事に就労ビザを手にした時は体の力が抜けました。その直後カナダ移民局から新しい就労ビザを送るようにという指示がありました。そして、何度かカナダ移民局とやり取りした後2011年3月に正式に永住権許可が下りました。2011年3月に許可証を持ってアメリカとカナダの国境までドライブ。アメリカ国境を通過後Uターンでカナダに戻り国境の職員が"Welcome to Canada."と迎えてくれ無事永住権取得。この時の心境は「やったー!」というよりもとてもほっとした感じでした。そして2011年を区切りとして永住者として新しいカナダの生活が始まりました。永住権保持者には選挙権以外はカナダ市民とほぼ同じ権利が与えられているため、色々な面で生活が保障されるようになりました。また、就労ビザで働く場合は、ビザに記載されている雇用主以外のところで働くことはできません。永住権取得を機会に転職が可能になりました。ちなみにカナダ政府は市民の2重国籍を認めていますが、日本政府が認めていないために、私は日本国籍をキープし、5年毎にカナダの永住権を更新しています。
結局は粘りと運?
私は移民を決意してから実際に移民できるまで5年という長い年月を費やしましたが、もっと短期間で移民できた友人もいます。例えば、ゆかさんはカナダに来る前に南米の某国に住んでいたのですが、その国でカナダ永住権申請を行いカナダ到着時には永住権を取得していました(これは審査にパスするのに十分なポイントがあったからできることです)。反対に滞在ビザの更新が上手くいかず無念ながら帰国した人もいます。結局、カナダ永住権取得には「移民するぞ!」という強い意志と出会いを含めた運が必要だなあと感じました。永住権を取得してから約10年。生活する上での色々なチェレンジはありますが、「1ヶ月後もカナダに住んでいられるのだろうか?」という不安定な生活から抜け出すことができ、雇用主も自由に選べるため本当に良かったです。